2015年1月4日

1月4日

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」[ヨハネ8:58]

ヨハネの福音書は、福音書の中でもっとも深遠であり、最後に書かれたものです。この中で、神がキリストをどのように見ていたが示されます。読む者は次のことを教えられます。羊を求め、人々のパンを配り、また、私たちが進む道を用意することは、神のすべきことではないのです。キリストが、が死者をよみがえらせ、盲目の者の目を開ける力を持つことですらありません。この福音書全体を読むものは、ある記念碑的な事実と向かいあうことになります。キリストはこれらすべてあると言うことです。

神は、人に光を与えることができるとは言われませんでした。そうではなく、ご自身が世の光であると言われたのです。主は私たちのいのちのパンを約束されただけでなく、主ご自身がいのちのパンであることをはっきり示されました。主は、私たちが行くべき道に導くと言われたのではなく、主ご自身が道であることを、繰り返し、お語りになりました。キリスト者にとっては、キリストは全てです。主がくださるものは、主ご自身に他なりません。

—ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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