2015年1月26日

1月26日

あなたは、私たちの主をあかしすることを恥じてはいけません【2テモテ1:8】

自分がキリスト者であると告白することを恥じる理由がどこにあるでしょう?主イエス様は、十字架に付けられたとき、私たちの罪だけでなく、恥をもその身に負われました。聖書がはっきり教えるように、主は恥辱を受けました。主は総督官邸の兵たちに侮辱され、ゴルゴタでも辱めを受けました。私たちが人から恥辱を受けたとしても、それは受けて当然のものです。私たちが今日、味わうような恥は、主が十字架で耐えた屈辱とは比べようもありません。

ですから、私たちは辱めを受けても驚かないようにしましょう。これが、主にあるもの全てが受ける分だからです。恥じるべきなのは世のほうです。ある詩人がこう叫びました、『花が太陽を恥じることがあろうか?』絶対にありません!花が日光を受け、感謝に満ちて、開くのを見たなら、私たちも心を開いて、主がどれだけ多くのことをしてくださったかを、人前で明らかにすべきです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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