キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです【ヘブル7:25】
もし主が、自分に降りかかる大きな苦難のことで、いつも頭がいっぱいだったら、人の重荷を負うことなどできたでしょうか?しかし、そうではありませんでした。むしろ、自分には何の重荷もないかのように生き、また、他に何もすることがないかのように、人に哀れみをかけることに打ち込みました。主は、同じ時代に生きた人々を憐れまれただけではなく、今ここに生きる私たちにも、同じ憐れみをもっています。誰も自分のことなど気にかけていないと感じることがあるかもしれません。そんな時は、自分の重荷はとても耐え切れないもので、この世の友はあまりに弱々しく、自分を助けても、理解してもくれないように思えます。
しかし、いつでもそばにいて、あなたの重荷を担ぎ上げてくれる友だちが一人いるのです。天の御国に座っていても、その方は腰をかがめて、あなたを自分の大切な人のように思ってくれます。また、あなたの幸せを真剣に考えてくださいます。あなたが苦しんでいる時は、心配してくださり、飛んで助けに来てくれます。その名を呼び求めてください。その方はいつまでも生きています。
—ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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