2015年1月24日

1月24日

そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです【マタイ22:29】

ヘロデ王が民の祭司長たち、学者たちに、キリストはどこで生まれるのかと問いただしたとき、彼らはすぐに預言者の言葉を思い出してこう言いました、『ユダヤのベツレヘムです。』実によく、聖書を学んでいたのです!質問されたとき、その場で答えています。その答えは間違っていたでしょうか?間違っていませんでした。これは驚くべきことではありますが、この質問に答えた後、学者たち、長老たちの誰一人、ベツレヘムに向かわなかったのです。彼らの知識は非常に正確でしたが、その知識を賢者への道を示すだけに使うと、また、本に戻ってゆきました。交通整理の警官のように、人々に行きたい方向を教える役割を果たしますが、自分は持ち場に留まったのです。

これでは、意味がありません。聖書を知っているだけでは十分ではなく、神の力を知らなければなりません。神が聖書の中で言われたことを理解しても、それによって神ご自身を知るようにならなければ不十分です。個人的に神を経験することが必要であり、その時は、神の御言葉に基づいて信仰によって行動しなければならないのです。神の知識に達する道は、このような行動を通るものです。他に道はないのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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