2015年1月17日

1月17日

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます【2コリント5:7】

かなり初歩的な話をすることをお許しください、神がどのようにして、自分の感情に拠って生きることを止めさせ、信仰によって生きるように導いてくれるかと言うはなしです。初めて救い主に出会ったときは、誰でも幸せになります。すべてが新しく、輝いて見えます!しかし、この気持ちはいつか消えて行きます。そのとき、どんなふうに思うでしょう?もはや、初めて救われたときの喜びはありませんが、これは霊的でなくなったからでしょうか?

決して、そうではありません!そんなふうに考えたら、キリスト者の経験を完全に誤解してしまうことになります。簡単な例で考えてみましょう。腕時計をなくしたとします。それを、見つけたときは大喜びします。4~5日が経つと、見つけたときほどの嬉しさはなくなります。また数日もすれば、その喜びは消え去っているでしょう。何が起こったのでしょう?時計がまた無くなったのではありません。無くなったのは、見つけたときの気持ちです。これがキリスト者の生活です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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