2015年1月12日

1月12日

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです[ローマ8:14]

あるキリスト者が、仲間にこんなことを頼みました、『神にお願いして、私に何をして欲しいのか、教えてもらってください。分かったら、私に聞かせてください。』こう頼みたい気持ちは分かりますが、この人は、まったく意識しないまま、新約聖書の教えに違反しています。神は、そんなかたちで、私たちとキリストの仲介者を立てようとは考えていません。もはや、私たちは人を見て、自分が何をすべきか、語ってもらうことはしません。主である内在の霊がみこころを教えてくれます。

使徒行伝21章を見ると、パウロがエルサレムに行かなければならないと感じたとき、多くの人が、思いとどまるよう求めたのです。大きな困難が待ち受けていると想像できたからです。それでも、彼は自分の決定を翻すことは拒否しました。なぜでしょう?内なる心の中で、彼にはそれが主の御心であるという確信があったのです。本当の意味で神とともに歩いているなら、他の人の意見に支配されないように心がけるべきです。旧約聖書の時代においては、人は預言者に相談できたかもしれませんが、今はそういうわけには行かないのです。

—ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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